浄土宗神奈川教区テレホン法話 第1026話

中郡組 西福寺 宮澤 正順

 前回、我々が日常注意しなくてはいけない貪・瞋・痴の三毒すなわちむさぼり・いかり・おろかさの三つの毒を抑えていかなくてはいけないことをお話しいたしました。この三毒の中でも特にいかりに注意をしなさい、カッとなって乱暴なことをしてはいけませんと説かれたのがお釈迦さまです。法然上人こそこの教えをしっかり守って、人々の模範となられたお方でした。法然上人は凡そ八百年も前に今の岡山県にお生まれになりました。当時は日本人同士が源氏と平氏に別れて血みどろな戦いをしていた時代でした。法然上人は幼い頃のお名前は勢至丸といわれました。勢至丸さまは九才のある晩、父母とぐっすり眠っている時に敵が攻めてきました。夜襲です。父君の時国さまも勢至丸さまもよく応戦しましたが、寝まき姿パジャマ姿では武装した敵にかなうはずはありません。父時国さまは、ついに命を落とすことになりますが、時国さまは死の間ぎわ苦しい苦しい息の中から九才の勢至丸さまに最期の遺言をなさいます。勢至丸よ、お前は男の子で武士の子だから敵を討ちたいだろうが、お前が敵を討てば又向こうさまが復讐する。復讐につぐ復讐といった報復の連鎖はやめて欲しい。それよりも、くやしいくやしい怒りの心を押さえて、人々が幸せになる仏さまの教えで私の菩提を弔ってほしい、という苦しい息の下からのことばでした。男の子で武士の子であった勢至丸さまはどれほど父の敵が討ちたかったかは十分に想像できます。しかし勢至丸さまは、父君の遺言をしっかりと守って、仇への怒りをじっと忍びがまんして、戦乱に苦しむ多くの人々に、いつでも・どこでも・誰でもが実践できるお念仏の教えを説いて、心の安らぎを人々に与え、多くの方々からしたわれました。法然さまこそ、お釈迦さまが一番重要視された怒りを抑える忍耐の正しさを実践して人々に示されたすばらしいお方でした。