浄土宗神奈川教区テレホン法話 第934話

中郡組 浄信寺 吉田 健一 ノーベル平和賞を受賞した、ケニアの環境保護活動家ワンガリ・マータイさんは、「もったいない」の精神を世界に広げようと提唱されました。 物を大事にすることで、限りある資源を上手に使う、これは昔の日本人がもっていた尊い知恵です。 私は、この「もったいない」が、環境問題のみならず現代の子供達に命の大切さを訴えて行くための大切なキーワードになると考えます。 「もったいない」とは、ただ単に、そのモノを大事にする、ということのみならず、そのモノの本来の姿に思いをめぐらすことにあると考えます。この想像力を養うことこそ、現代の社会に必要なことではないでしょうか。 ではモノの本来の姿とは一体どんなことでしょうか。 簡単な例で、おにぎりを考えてみてください。この世には初めから「おにぎり」というものは存在しません。握ってくれた人がいるから、「おにぎり」なんです。握らなければ、ただのご飯になってしまいます。さらに、そのお米も、お父さんやお母さんが働いて得たお金で買います。スーパーにはお米を陳列している従業員もいますし、お米を精米しているお米屋さんも居ます。勿論、毎日田んぼに出て働いている農家の方が居なければ、お米は出来ません。いや、それだけではなく、お米が育つように環境を保全している人も居るでしょう。当然のことに、お米には動植物の命も関わっているでしょう。ざっと、考えただけでも、これだけの人や行程が関わり、おにぎりがこの私の手の上にやってくるのです。その道理を知った時、人は簡単にこのおにぎりをムダにはできなくなります。 すべてのモノは関わりあいながら存在する。たった一つで存在できるものは何一つ無い。これがモノの本来の姿です。その道理を知らずにいることが「もったいない」ということではいでしょうか。 今は、コンビニに行けば、100円でおにぎりが買えます。目に見えるものだけに執着する即物的な現代の社会では、100円のおにぎりには、100円分の価値しか見出せません。しかし、それがお母さんが握ってくれたものならばどうでしょう。お腹が一杯だからといってあなたは捨てられない筈です。それは、お母さんの姿と、その労力を知っているからです。 北海道の住宅メーカーの創業者である、山口昭さんは、長年に亘り、本や、講演会などで「もったいない」を広げる活動をしてこられました。山口さんは、「もったいない」の対極にある言葉を「かんけいない」と言う言葉で表現しています。。 コンビニのおにぎり一つにも多くの見えない物語が存在します。 ましてや人間である自分がどれだけの「目には見えない関わり」の中で生きているのか想像してください。目の前にいる相手も、突然目の前に現れたのではなく、様々な物語を経て、私と関わり、そしてこれからも関わり続けるのです。 目には見えない世界の関わりを、「関係ない」事として無視してしまうことが「もったいない」ということなのです。

次回は7月11日にお話がかわります。