浄土宗神奈川教区テレホン法話 第838話

人に対し、人としてのおもいやりを
 今年の夏休みの中学生の課題として、「神奈川県下中学生人権作文コンテスト」を中学の先生方に依頼しました。
 夏休み後、沢山の人権の作文が集まりました。
 内容として特に多かったのが、子供の虐待、いじめの問題でした。
 それは時代の反映か、今年の夏休みの新聞、テレビ等で、毎日のように虐待がおこなわれていた実態が報道されていたためか、中学生に身近な問題として関心が集またのでしょう。
 政府が何故親が、保護者が小さい子に対し、虐待をするのか、その防止策はあるのかと議論されていましたが児童虐待防止法の制定とか、子供を守る施設として児童相談所の充実とかで、箱物行政が先行して、親とか保護者に対する心の内面の指導方法が今まで行われていなかった。
 特に若い夫婦は成長する中で与えられていない心の内面の欠如がでて、体だけが成長して、心の内面欠如のまま大人になり、虐待を生み出す要因をもっていたのである。
 では、心の内面とはなんなのか、人に対し共通することですが、特に児童、老人に対する「おもいやり」です。
 「思いやり」とは、佛教でいわれている「施し」のことです。
 「ほどこし」とは与える心が一方的にはたらく心でそれを相手がどう受け止めようと関係のないことです。
 言い換えると、そうせずにいられない「内から湧きだしてくる真情であり慈悲の心と表現されている心のことです。
 これは、親が我が子に対して、「元気でいてほしい、良い子であってほしい」などと願いつつ育てていく心と一つです。
 病気をすれば寝ずの看病も当たり前、良いことをすれば喜び、悪いことをすれば涙を流して悲しんでくれます。
 このような親がいなくなったのでしょうか。
 立派なおもいやりのある親になるために、是非そのためには、幼児期から思いやり精神をそだてなければいけません。
 そうすれば当然、虐待がなくなるでしょう。

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