浄土宗神奈川教区テレホン法話 第787話

 私には3人の子どもがおりますが、時々同じ両親の子だというのにどうしてこんなにも性格が違うのだろうと思うことがあります。
 一番上の子は父親に似ていると周囲からは言われますし、二番目は母親に似ていると、三番目は・・・、まだ2歳にもならないので何とも言えませんが。
 とにかく、何故3人が3人ともこんなに性格が違うのかと思います。それはそれで個性があって楽しいのですが、それ故に子育てが一層難しくなっているのかなと思うこともあります。
 「十人十色」と言われるように、世の中ひとりとして同じ人はおりません。お釈迦様の説かれた「阿弥陀経」というお経の中にこのような一節があります。
 池の中の蓮華、大きさ車輪のごとし。青い色には青い光、黄色には黄色い光、赤い色には赤い光、白い色には白い光があって微妙(みみょう)・香潔(こうけつ)なり。
 これは極楽浄土の様子を述べられたものの一部ですが、それぞれの花の色の個性が美しく輝いている様が書かれています。仏様は子どもに、色々な色、つまり個性をつけてこの世の人間に預けられました。人間一人ひとり様々な個性があって、その光り輝く個性はすばらしいものがあるのです。
 今、世の中は没個性へと向かっているような気がします。他人と同じことを良しとする、みんなと同じことに安心する、そんなこが多いのではないでしょうか。しかし、その為に本来は光り輝くはずのその子の個性を押えつけてしまってもよいのでしょうか?
 もちろん正すべきところは正す必要があるのですが、光り輝く個性はなお一層光り輝くようにするのが、我々大人の役目ではないかと思います。
 詩人の相田みつをさんの詩にも「トマトがねえトマトのままでいればほんものなんだよ」とあります。トマトじゃダメだ、メロンになれでは本物ではなく偽物なんだと。
 本物で輝くのと偽物で輝くの、あなたはどちらを選びますか?

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