浄土宗神奈川教区テレホン法話  第676話

 新緑の良い季節となりました。今月は3回に分けて、生活の中のお念仏についてお話しましょう。
 浄土宗の教えの中に四修という言葉があります。4つのことを修行すると書きます。4つの中の第一は恭行修といい、恭い敬うということ、第二は無餘修といい、お念仏以外の行はしないで、お念仏を中心に行うということ、第三は無間修といい、お念仏を途絶えることなく称え続けるということです。そして第四は長時修といい、お念仏の信仰に入った後は終生お称え続けるということです。つまり、この四修というのはお念仏の信仰者が、毎日の生活の中で、どのようにお念仏をしたら良いかということを教えているのです。今回はこの中の第一番目の恭敬修についてお話しましょう。
 何を“敬う”のか、その敬う対象について見ると、先ず第一に極楽世界の阿弥陀如来です。そして観音・勢至や極楽世界の諸菩薩を敬うのです。その敬う気持ちが形に表れたのをお礼拝というのです。したがって、お礼拝というのは仏様を敬う心をもって、み仏の前に、己を空しくしてお参りをする姿を言うのです。
 敬う対象については、更に5つに分けて説きます。その第一は今述べた弥陀、観音、勢至の一仏二菩薩で、これは念仏信仰の中心となるものです。第二には阿弥陀如来のお仏像や極楽世界の有様のことを託したお経文等を敬うことです。仏像を通して真実の阿弥陀如来に近づき、またお経文を読むことによって仏様の慈悲心を感じ取る手だてとなるのですから、清らかな場所に安置して敬うのです。第三にはお念仏の教えを説く信仰の先達を敬うのです。先達がいなければなかなか念仏信仰に近づけないからです。第四には念仏信仰の仲間を敬うのです。これが今日、私たちの生活の中で最も欠けている部分ではないでしょうか。第五には仏・法・僧の三宝を敬うのです。お念仏の信仰が真実であれば、これらの五つを敬う心も自然にそなわってくるのではないでしょうか。
 

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