浄土宗神奈川教区テレホン法話 第1173話

港南組阿彌陀寺 香川 隆順

浄土宗神奈川教区テレホン法話第1173話にお電話を賜りましたこと、誠に尊いことでございます。
8月に入りまして、まだまだ残暑も厳しい中ではございます。しかし、そんな暑さにも負けることなく、外では今日もセミたちが大きな声で鳴いております。
皆様もご承知の通り、セミはその生涯の大半を土の中で生活をし、ようやく地上に出てきて成虫になったと思ったら、わずかな期間でその命を終えてしまいます。多くの人はその姿を「哀れだな。可哀そうだな。」と感じているのではないでしょうか。
しかし、当のセミたちは、きっとそんな自分たちの生涯を悲観してはいないと思います。むしろ、成虫になってから、「自分たちに残された時間は短い。」そのことをしっかりと感じているからこそ、理屈ぬきにあれだけ大きな声で、「私はここにいるんだよ」と一生懸命に、まさに命を懸けて鳴けるのではないでしょうか。
一方の私たちはどうでしょう。明日があるからいいや、明後日があるからいいや、日々を惰性で過ごしてはいないでしょうか。ましてや、科学や技術主義の現代において、理屈でしかものを考えられず、手で触れるもの、目で見えるものでしか真実として受け入れることができない。けれど本当に大切なものほど、実は理屈では説明できないものではないでしょうか。
お念仏も一緒なんですね。浄土宗をお開きになられました法然上人は「念の心をさとりて申す念仏にもあらず。」念仏の意味などを理解した上で称える念仏ではないのですよ。理屈じゃないんですよ。ただただ「南無阿弥陀仏」とお念仏をお称えするれば、必ず、必ず、阿彌陀さまが救いとって下さるんですよ。極楽へ導いて下さるんですよ。このように法然上人はおしゃって下さっております。
日々何かと、多くのことを考えながら過ごしている私達。セミがその生涯をかけ一生懸命に声をあげるよう、私達も日々の生活の中に、ただひたすらにお念仏をお称えする時間を持ちたいものでございます。
次回は8月の中頃にお話がかわります。