浄土宗神奈川教区テレホン法話 第1159話

三浦組雲光寺 慶野 匡文

 新しい年を迎えました。健やかに新年を迎えられましたでしょうか。今年こそはの思いで新たな一歩を踏み出された方が多いのではないかと思います。
昨年は自然災害に悩まされ、また、偽装表示、誤表示という問題に翻弄された年でした。自然は一方では仕方ないこととしても、偽装は人間のすることとして残念な思いです。 
 そこに、人間の浅はかなさと愚かさ、いい加減さを見せ付けられたかのような思いがいたします。しかし、これを他人事とひとことで済ませてしはいられません。よくよく思い返してみますと、この私どもがしていることは、「ま、いいか」とか「そのくらい問題ないだろう」というちょっとした愚かな判断で行動してしまう毎日です。このほんの些細な判断ミスが、事を大きくしてしまうのです。昨年大きくとりあげられた食品偽装表示についても、「そのくらい問題ないだろう」という愚かな判断が、たまたま何事もなく進み、慣れきってしまったのでしょう。いけないことはいけないとわかっていても、その時の環境、状況で人間は右にも左にも転んでしまう。自分のことにひきあてて、見つめなおすことが必要かと思います。
 仏様を前に自分を見つめますと、「偽」の自分はすぐいいあてられてしまいます。いくら自分をつつみ隠そうとしましても、仏様には通用しません。逆に言えば、仏様を心にかけていない人には「偽」の自分をいつまでも演じているのでありましょう。
 法然上人が、「ただ一向に念仏すべし」とおっしゃられたのも、常にお念仏を称え、阿弥陀様と離れずにいれば、「偽」の道についつい流れてしまう私どもではありますが、まちがいなく正しい道へと導いてくれますよという思いが、そのお言葉にこめられているように思います。
 偽りが 多きこの世は ひたすらに  念仏称えて 渡りゆくのみ

※次回は一月の中ごろにお話しがかわります