浄土宗神奈川教区テレホン法話 第1156話

鎌倉組 正光寺 伊香輪一暁

私たちがいま生きていることは、さまざまな人生を送ってきた数えきれないご先祖さまがいのちを受け継いで来たからです。さらに私たちが日々生きていく上でいただく三食は肉や魚、野菜など他の尊い生命の犠牲のうえに成りたっています。また毎日の暮らしも一人では成り立ちません。多くの人々とかかわり合い、互いに迷惑をかけたり、助け合いながら社会生活を送っています。
 法然上人のご法語に
  衆生仏を礼すれば仏これを見給う。衆生仏を称うれば仏これを聞き給う。衆生仏を念ずれば仏も衆生を念じ給う。
 というお言葉があります。
 このお言葉は私たちが礼拝すると阿弥陀さまが見て下さり、私たちが念仏を称えれば阿弥陀さまが聞いて下さり、私たちが心の中で念じれば阿弥陀さまも私たちのことを思っていて下さるという意味です。阿弥陀さまはただ極楽浄土におられるだけでなく、礼拝し念仏を称え、心の中で念じる私たちのために光明を照らし、さまざまな形で働きかけてくださっているのです。そして阿弥陀さまのもとでご先祖さまも私たちを見守っておられるのです。
 昨今は自分さえよければいいという傲慢な考え方をしている人間が多い気がします。自分一人の力で生きていると勘違いをしてしまいがちです。しかしそうではありません。両親や家族、友達や同僚など多くの人々と自然万物のはかりしれない恵みのなかで生かされているのです。そして阿弥陀さま、ご先祖さまに見守られ生きているのです。
 今月23日には勤労感謝の日があります。勤労をたっとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう日で、戦前の新嘗祭の日付をそのまま改めた日だそうです。秋の一日自然の恵みや働ける有難さ、生かされている感謝の気持ちを改めて思い直し、お念仏に励みたいものです。

 

次回は12月の初めにお話が変わります。