浄土宗神奈川教区テレホン法話 第1106話

「良忠上人(りょうちゅう・しょうにん)」

極楽寺 稗貫 光遠 浄土宗神奈川教区、テレホン法話第1106話、お電話頂き有難うございます。今回は、「良忠上人」ついてお話をさせて頂きます。
 良忠上人というお方は、浄土宗の三代目をお受け継ぎ下されたお方であります。良忠上人、またの名を記主禅師とも申します。記主の記は、記述の「記」。主は「ぬし」という字を書きまして、記主と言いますが。この名が示すが如く、数多くの書物、教えの事柄を記されまして、今日ある浄土宗の基盤を築かれたお方であります。
 「売り家と、唐様で書く三代目」、初代が苦労をされ、多くの財産、家屋敷を残しても、二代目がこれを当てにし、財産を食いつぶして、三代目の頃は、住んでいる家も、売り家とするほど落ちぶれてしまうと言われるように、三代目の受け取り、継承が悪いと、その家の歴史は続かないものですが、私たちの浄土宗は、本当に素晴しいお方を三代目に頂くことが出来たのであります。
この良忠上人が、御年14歳のお正月に、こんなお歌を詠まれました。「五濁の浮世に生まれしは、恨みかたがた多けれど、念仏往生と聞く時は、かえりて嬉しくなりにけり」、とても14歳の男の子が詠んだお歌には思えません。良忠上人の非凡さが伺えます。
  また、このお歌を詠まれた数日後の建暦2年、正月25日、法然上人は、80年のご生涯を閉じられ、ご入滅されておられます。「念仏往生と聞く時は、かえりて嬉しくなりにけり」、このお歌を詠まれた後に、法然上人がお浄土へ帰られたことを考えますと、本当に不思議な因縁を感じます。
浄土宗の開祖、法然上人も「智慧第一の法然房」と讃えられ、二代目を受け継がれた聖光上人も比叡山で一、二を争う学者でありました。 また、この三代目を受け継がれた良忠上人は、それに輪をかけた素晴しいお方であったのです。そして、この良忠上人が拠点として開かれたお寺が、私たちの地元、鎌倉にある大本山光明寺であることを決して忘れてはなりません。

次回は、4月21日にお話の内容が変わります。またお電話ください。