浄土宗神奈川教区テレホン法話 第1077話

食事をいただく前に多くの方々が「いただきます」とお唱されているのではないでしょうか。この「いただきます」という言葉を皆様はどの様な念を持って唱えられていますか?
食事を作って頂いた方に感謝の意を込めて「頂きます」と唱えられている方、食材の命を頂くと言う意味で唱えられている方。特に考えず習慣で唱えられている方と多々いらっしゃると思います。

では、浄土宗の食前と食後に唱える言葉はご存知でしょうか?
食前の言葉は
【われここに食をうく、つつしみて天地の恵と人々の労を謝し奉る。十念】
そして、食後の言葉は
【われ食を終わりて、心豊かに力身に満つ、おのがつとめにいそしみ、誓ってご恩にむくい奉らん。十念】と唱えます。

この世に生を受けた以上、何かしらの命を頂かなければ私達は生きて行くことは出来ません。しかし、仏教では不殺生戒と言う戒律があるのも確かです。では、この戒律の本当の意味はどこにあるのでしょうか。

ある命を頂くことで、私達が命を繋ぎ、その繋いだ命で善根功徳をする、もしくは良い行いをする為に必要であったならば、その命は善因楽果を受けられ、後の生において仏の加護を賜ることができます。
つまり、命を頂く人間が感謝の念を抱き、良い行いの為に必要な量であれば、殺生が許されるという事ではないでしょうか?

命を頂く側の私達は頂いた命で何をなすべきなのか?
私達の行動次第で頂いた命の後の生に大きな違いが出来てしまうと言う事を、しっかりと理解しなくてはならないのです。

私達は唯一声に出して救いを求めることが出来るのです。その声を頂く命にふり向けて食前の言葉、食後の言葉を申して「南無阿弥陀仏」と申して頂ければ救われる命もあるのでございます。

次回は7月1日にお話が変わります。