浄土宗神奈川教区テレホン法話 第1033話

京浜組 慶岸寺 林田 康順

 みなさんこんにちは。今月8日は、仏教の開祖、お釈迦さまのご生誕を祝う花祭りです。広く仏教者は、お釈迦さま同様、成仏を遂げることを共通の目的としています。ところが、その仏教者が、宗派を超えて、「あの人こそ正しい悟りを開かれている」と自他共に認める方を選ぶとなると一筋縄ではまいりません。ことほどさように、この身このままで悟りを開く、仏となるのは困難なことなのです。
 先日、法然上人の伝説が、もっとも東の地に残っている静岡県の応声教院というお寺でこんな話をしました。
「みなさん、法然上人が比叡山で学ばれていた頃のお師匠さま、皇円阿闍梨は、わが身を龍にかえてまでも、弥勒菩薩の出現を待っているのですが、この弥勒菩薩は、いったいいつ頃この世にお出ましになると思いますか? そちらのご主人いかがですか?」
「私ですか? そうですねえ。3千年ぐらい先のことですか?」
「なるほど3千年ですか。ありがとうございます。みなさんはどれ位の時間を想像されましたか? 弥勒菩薩が仏となってこの世にお出ましいただくのは、なんと56億7千万年も先のことなんです。」
「えー!(驚)」
 実は、その応声教院からほど近い桜ヶ池にこんな伝説が残されています。その弟子3千人と謳われた皇円阿闍梨は、お釈迦さまの次の仏として、弥勒菩薩がこの世にお出ましになるまで、わが身を龍にかえて桜ヶ池で待とうとされました。その後、桜ヶ池を訪れた法然上人は、お櫃にご飯を詰めて池の中に供養したというのです。こうした伝説からは、法然上人ご在世当時から、皇円阿闍梨ほどの方でも、この身このままで仏となることが困難だったありさまが知られます。私たちは、皇円阿闍梨のようにわが身を龍にかえて56億7千万年も待たずとも、お念仏を称えれば、必ず誰もが浄土往生を遂げ、そこで速やかに悟りを開くことができるのです。花祭りには、そんな尊いお念仏の教えを残して下さったお釈迦さまにあらためて感謝の誠を捧げましょう。
 次回は、4月11日にお話がかわります。