浄土宗神奈川教区テレホン法話 第831話

 浄土宗の教えは、極楽浄土への往生を願い阿弥陀仏の救いを信じ、一心にお念仏を称えることであります。お念仏とは、ご承知の通り「南無阿弥陀仏」と阿弥陀仏の名を口に称えることであります。これを『称名念仏』と申します。
 法然上人は、愚かな凡夫である私たちのはからいをやめて、強い信心をもってお念仏の行に励み、往生を願って下さい。』と述べられております。では、この強い信心とはどのようなことでしょうか。これはお念仏を称える心のことです。
 浄土三部経の一つ「観無量寿経」に『極楽浄土に生まれたいと願う者は、三種の心をおこしたならば往生できる』と説かれています。
 三種の心とは、至誠心、深心、回向発願心の三つの心で三心といいます。
 一つ目の至誠心とは、真実の心。表も裏もない素直な心のことです。
 二つ目の深心とは、深く信じる心。これは、二つに分けられ、一つは、自分は煩悩にまみれた凡夫であることを自覚すること。もうひとつは、称名念仏によって阿弥陀仏の救いをいただき、極楽に往生がかなうと信じる心のことです。  三つ目の回向発願心とは、自分だけでなく、すべての人々のために善き行いを振り向け、共に極楽往生の願いを起こすという心になります。
 さて、極楽に往生するために必要なお念仏の心がまえの説明をいたしましたが、いかがでしょうか。「私には、とてもそのような心をおこすことなどできない」と思われた方も多いのではないでしょうか。確かに、この三心を具えるのは難しいことなのですが、法然上人は教えの中で、『お念仏を称える心を「三心」、またお念仏を称える四つの態度を「四修」とされ、その三心四修は行おうとすれば難しいものであるが、必ず往生できるとの思いで念仏を称えれば、自然とそなわってくる』と示されました。南無阿弥陀仏のお念仏をいつでもどこでも、いつのときにも称える中に自然にそなわってくるのです。
 ですから、私たちは、極楽往生に対しての疑いの心をもつことなく、私のような凡夫であっても間違いなく往生できると、堅く心に決めてただひたすらにお念仏を称えることが大切です。
 合掌

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