浄土宗神奈川教区テレホン法話 第765話

 秋もだんだん深まりゆく中、皆様いかがお過ごしでしょうか。
 朝起きた時に「おはようございます」、寝る前には「おやすみなさい」と言うのが、私達の古くからの習慣です。又、外で知人にあえば、「こんにちは」「さようなら」などと言葉を交わしあうことも人間同士の習慣です。
 皆様ご存じの通り、これは挨拶です。この挨拶は、心を開いて相手にせまる、いわば生活の潤滑油みたいなもので、言葉だけにかぎりませんが、人が人と心のふれあいをもとうとする場合に、かかすことのできないものであると思います。別に挨拶がなくてもお互いに意思の疎通はできますが、人間が社会的に生きる以上、油のきれた機械がいやな音をたててきしむように、挨拶を忘れると、人の心もきしんできて、気まずくなってくると思います。世の中がギスギスして住みにくく、隣近所のつきあいや、家族間の関係がうすれたように見えるのも、この挨拶の欠如からくるものも少なからずあるのではないでしょうか。実はこの挨拶という言葉は元来、禅僧の間で、師僧が弟子と押し問答をして、その弟子の修行や悟りの深さをためす意味に使われ、それがだんだんお互いに言葉を交わすなど様々な使い方をされるようになった事に由来する言葉だそうです。
 どちらにしても、挨拶をしないでギスギスとした生活をするよりも、きちんと挨拶をして円滑な日常生活をしたいですね。そして何よりも「南無阿弥陀仏」とアミダ様に挨拶をして自分の心にも潤滑油のさされたさいかつをすることが大切なのではないでしょうか。朝起きて「ナムアミダブツ」あはようございます。今日も無事にすごせますように。そして寝る前に「ナムアミダブツ」おやすみなさい。今日も無事にすごさせて頂きました。と言える生活をする事は大変有難い事なのではないのでしょうか。潤滑油のさしてあるなめらかな日々の生活を有難く感謝しておくりたいものです。

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