浄土宗神奈川教区テレホン法話 第749話

 前回に続き、今回は法然上人に関わりの深い方の中から、熊谷次郎直実についてお話をしたいと思います。私がこの熊谷直実に興味をもったのは、毎年お正月に歌舞伎座の演目で「熊谷陣屋」が上演され、その主人公だからであります。また、直実が関東地方を中心に活躍されたからであります。
 熊谷次郎直実は鎌倉前期の武将であります。源頼朝に仕え、源平合戦において手柄をたて鎌倉幕府の創設に力を尽くします。平氏との一ノ谷の戦いで活躍しますが、笛の名手とうたわれた息子と同じ年の平敦盛と戦い、本心は逃がしたかったのですが、周りに人がいたので、いたしかたなく討ってしまったのです。建久三年、叔父の久下直光(くげなおみつ)との所領争いに敗れ、自ら髪を断ち、上洛して安居院の澄憲のもとを訪れて後生の菩提について問います。すると「左様なことは法然上人にお尋ねなさい」といわれます。直実はその言葉に従い法然上人の庵を訪れます。「私は戦で多くの人を殺しました。その自分が浄土往生するためにはどうすればよいのか」と尋ねます。法然上人は「ただ念仏を申しなさい。そうすれば必ず極楽に生まれることができます」と答えます。直実は涙を流しながら「自分は手足を切り落としでもしないかぎり救いはないと思っておりましたし、そうするつもりでおりました。ところがお念仏さえすればよいというお言葉に感涙してしまいました」と、その胸中の苦悩をもらします。直実は澄憲のすすめと念仏の教えを聞いて法然上人の弟子になり、側近になります。行住坐臥に西方を崇い、背を向けることをさけ、とくに直実が法然上人と分れ、京都から関東熊谷に帰る時も、西方に、そして法然上人のいる京都に背を向けないため、後ろ向きに馬に乗ったという逸話もあります。また、上人の弟子源智が所持していた、法然上人のお名号を取り上げてしまい、上人にたしなめられる、といった逸話もあります。もっとも、そうしてたしなめられることすらも、直実にとっては喜びであったのかもしれません。

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