浄土宗神奈川教区テレホン法話 第734話


 今年も残り僅かとなりなした。毎年、年の瀬を迎えますと、この一年間に自分が行ってきた数々の行いを反省し、残りあと僅かの日々を過ごし、新年を新たな気持で迎えられるようにとも思われているのではないでしょうか。わたし自身もこの一年、ただただ反省の日々をすごし、懺悔の毎日でありました。
 12月は、仏名会という行事を行っている寺院があります。この日は皆がお寺に集まって、お念仏をとなえ、御仏を礼拝し、一年間の罪、つまり、身や心の汚れを洗い流します。機会がございましたら是非ご参加ください。
 さて、法然上人はお念仏をお称えする時の心構えとして、三つの心をお示しくださっています。それは三心といい、至誠心、深心、回向発願心の三つです。今日はその最初の至誠心についてお話しします。至誠心とは、わかりやすくいうと真実の心であリます。心の内では愚かでありながら、外には賢い人と思われるようにする、心の内には悪を作りながら外には善人らしく見せかける、心の内には怠け心をいだきながら外には励んでいるふりをするように、内と外とが違っていては真実の心とはいえません。皆様は朝、お仏壇にお茶をお上げするときに、一番おいしいお茶をお上げしていますか。朝の忙しさで、形だけお上げしていませんか。仏様、ご先祖様に悪いと思ってもついつい忙しさにかまけて形だけになることがあるのではないでしょうか。それでは真実の心をもってお供えしたことにはなりません。しかし、私たち煩悩のある愚かな人間は、常に他人によく見てもらいたい、よく見せたいと思い、内と外が違ってしまいます。ともすれば、お念仏をお称えするときでさえ、回りによく見られたいとの思いでお称えしてしまうことさえあります。なんと愚かなことでしょう。しかし、法然上人は、そんな愚かな私たちであってもお念仏をお称えすることによって、内と外が違う私たちであっても、真実の心となりえること、また、阿弥陀様は、お念仏をお称えする私たちを、愚かな私たちそのままで救いとってくださいますことをお示しくださっています。
 反省、懺悔の一年の終まいもただただ、お念仏をお称えさせて頂くことが、新年を迎える準備でありましょう。

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