浄土宗神奈川教区テレホン法話 第707話

 「暑さ寒さも彼岸まで」と言われますが、早いもので、今年もお彼痒を迎える季節となりました。
 皆さんはお彼岸と聞くと何を思い出されますか?
 殆どの方がお墓参りやご先祖供養、お寺参りなどを思い浮かべられる事と思います。
 今回はお彼岸について少しお話を致したいと思います。
 今日では「彼岸」とは彼の岸と書きます。サンスクリット語の「パーラミータ」の音写語「波羅蜜」、またその訳の「到彼岸」(到る彼岸と書きますが)を略して彼岸と言って居ります。古くはお日さまに願うと書いて「日願」としていた地方もあるようです。お彼岸のお中日は昼と夜の長さが同じで、お日さまは「真西に沈む」と言われて居ります。お中日に沈み行くお日さまに願う、手を合わせると言う事は、真西に向かってお参りをする、それはまさに西方極楽、阿弥陀さまの居られる極楽浄土に向かって手を合わせると言う事になるのではないでしょうか。
 では、何処から何処に到る事を到彼岸と言っていたのでしょうか?
 私達の住んでいるこの地を此の岸と書いて「此岸」と呼びます。彼岸とは此岸の反対側、極楽浄土に到る事。つまり、自分の立っているこの煩悩に満ちた、苦悩に満ちた現実世界の此岸より、煩悩の滅した極楽浄土である彼岸に渡った状態が到彼岸であります。
 では私達はどの様にしたら彼岸に渡る事が出来るのでしょうか?
 皆さんは六波羅密と言う言葉をご存知でしようか?波羅蜜とは菩薩様が涅槃に到るために行う修行の事であります。六つの波羅密、一つ布施(他人に施す事)、二つ持戒(戒めを持つ事)、三つ忍辱(堪え忍ぶ事)、四つ精進(怠けない心)、五つ禅定(心乱さず深く考える事)、六つ智慧(佛様の教えを学び実践する事)の六つの修行、それを行う事によって到彼岸する事が出来ると言われて居ります。
 しかしこれら全てを実践する事は、なかなか難しい事と思います。
 何か一つ目標を持たれてお彼岸を迎えられ、お中日には沈み行くお日さまに、極楽浄土を思い浮かべたいものです。

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