浄土宗神奈川教区テレホン法話 第687話

 みなさん、まだまだ暑い日が続きますね。今日はこころのもち方について日ごろ私の思っていることをすこしお話しさせていただきます。
 「先日、交通事故で全治10日間のけがをしてしまいました。きっと亡き父親の供養をなまけていたので、ばちがあたったのかも知れません。」こんな言葉を知人のAさんから聞きました。でもちょっと待ってください。「あなただったら、大切なあなたの子供にそんながちを当てて、苦しませてやりたい。」と思いますか。大事な我が子です。守ってあげたい。無事に毎日をすごさせてあげたいと常に願っているのが、親心ではありませんか。だから今回のけがも、守ってくださったので大けがにならずに、この程度ですませてくださったのだと思ってはどうでしょうか。とお話ししました。まだまだいろいろな考え方ができると思いますが、このときAさんはご先祖さまのことを思ったのです。ご先祖さまとはおや様です。「親」で子供の不幸せを願うものはありません。ともあれ、「けが」をしたことは困った現実ですが、これまでのことこれからのことを見つめなおし、より良い方向を考えたいです。
 古い言葉に、「病んで天井の高さを知る。」というのがありますが、これも同じ考え方ができると思います。つまり、私たちがある事柄に直面したとき、この現実をどのように切り開いたり改善したりしたら良いかを考えること。また、今まで見えなかったことも見えて、現実についてプラス方向の思考ができるようになる。ということと思います。
 また人生は、心地よいことばかりではありません。苦しいことも困ったことにも、ご縁だと思って一生懸命にこれに当たる心構えが大切だと思います。でも、私たちは親様の大きなみ力に守られているのです。私たちの親である阿弥陀さま、ご先祖さま方は悪しき心をもって私たちにわざと苦しみを与えようなどとは思っておられません。阿弥陀親様には誰も彼もが、かわいい大切な我が子なのです。阿弥陀さまのことを大みおや様ともいいます。大きな心で皆をつつんでくださる大きな「親様」なのです。そのお心、お力を信じて「なむあみだぶつ」と呼びかけながら、不平なく、おそれなく、心静かに毎日をすごせれば、と思います。

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