浄土宗神奈川教区テレホン法話 第1166話

高座組極楽寺 稗貫 光遠

「浄土宗神奈川教区テレホン法話」第1166話、お電話頂き有難うございます。今回も「人生の目的」ということでお話をさせて頂きます。
前回のお話で、私たちが人間に生まれて来た目的は、仏の教えに出会うため、アミダ仏さまの本願によって、往生、成仏することを目的に今を生きている。また、それを目標、目的に毎日を過ごすことによって、あるべき人生を歩ませて頂くことが出来るのだとお話をさせて頂きました。
この間、テレビを見ていましたら、心に響く、こんな文章が聞こえて来ました。
「雨にも負けず風にも負けず、雪にも、夏の暑さにも負けぬ丈夫な身体をもち
欲はなく決して怒らず、いつも静かに笑っている
東に病気の子どもあれば、行って看病してやり 
西に疲れた母あれば、行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば、行って怖がらなくてもいいと言い
北に喧嘩や訴訟があれば、つまらないからやめろと言い
みんなにデクノボーと呼ばれ、ほめられもせず
苦にもされず、そういう者に私はなりたい」(中略)
皆さんご存知のように、これは宮沢賢治さんの没後に発見された手帳のメモに書かれていた文章です。実は賢治さんが生まれた頃、東北地方に大きな地震があり、一連の震災の中、お母さんのイチさんは、赤ん坊の賢治さんを両手で抱え、お念仏を称えながら必死にわが子を守ったと言われています。
また震災の爪痕の残る中、この地方を繰り返し襲った冷害で、困窮する農家の姿、人々に接した体験が、後の賢治さんの人格形成に大きな影響を与えました。
私は賢治さんが、幼少の頃、お念仏の信仰の中に生まれ育ち、人々の苦しみや悲しみを目の当たりにされる中に、この文章が出来上がり、そして常に、この文章の書かれた手帳を持ち歩き、こうした人間、こうした人に私は成りたいと、そう願い、そう思いながら、その人生を全うされたのだと思うのです。
さあ、私たちもお念仏のみ教えを拠り所とし、仏の道をご一緒に歩ませて頂きましょう。
次回は、五月初めにお話の内容が変わります。またお電話ください。