浄土宗神奈川教区テレホン法話 第1164話

中郡組霊山寺 江島 尚俊

前回に引き続き、今回も、平塚市下島にございます霊山寺の住職・江島尚俊が担当させていただきます。 前回は、あなたが生まれてくるためには数多くの命、ご先祖様が必要であることを、世代を遡ることで実感していただきました。今回は、前回の話をお聞きいただいた際に、多くの方が疑問に感じたことについて触れていきたいと思います。 その疑問とは何かといいますと、十世代や二十世代とか、そんな昔のことを言われても、会ったこともない、顔も知らないご先祖様って、そんなに実感って沸くかなぁ?という疑問です。 確かに仰るとおりです。何百年前のことを言われても・・・というのが前回の内容をお聞きいただいた方の疑問だと、私も考えております。ただし、前回にもお話いたしました想像力という点に今回も着眼し、少しばかり落語を披露させていただきたいと存じます。 (落語・・・原稿化するのは困難ですので、文字に起こしませんでした。) いかがでしょうか?皆様の前には、キセルや長屋の扉、当然ございません。しかし、耳に流れてくる言葉を聞いているうちに、そういったものを想像されたことと存じます。それではここで問題です。これから私が何かを食べますので、それを当てていただきたいと思います。それでは参ります。 (落語・・・原稿化するのは困難ですので、文字に起こしませんでした。) それでは皆様。私がいま何を食べたのか、お判りでしょうか?答えは、ピザ。つたない落ちではございますが、笑っていただけた方もいらっしゃるかもしれません。いましがた披露いたしました、ほんの1分ばかりの落語をなぜ皆さんが楽しんでいただけたのか。それは簡単です。皆さんに想像力が備わっているからです。想像力という、人間特有の豊な能力があればこそ、楽しめたのです。 では、十世代、二十世代という、会ったことは無いかもしれないが、確かに存在し、そして我が生命を育んでくれたご先祖様を想像し、実感すること。あなたが持ち合わせている想像力をもってすれば、決して難しいことではないはずです。命のつながりを実感し、そしてそれに対して手を合わせ、お念仏を称える。お念仏を実感していただきたく存じ上げます。 南無阿弥陀仏、阿弥陀仏。 次回は四月の始めにお話がかわります。