浄土宗神奈川教区テレホン法話 第1118話

三帰依文の意味についてお話しいたします。

自ら仏に帰依したてまつる。
自ら法に帰依したてまつる。
自ら僧に帰依したてまつる。
と、日常いかなる時にあっても、私たち仏教徒が忘れてはならない生活の信条がこの「三つへの帰依」を誓うお言葉です。
「帰依」とは、『帰る』という字に、『依りどころとする』という字を書きますが、「帰命」とも言い、すべての「命」というものが、本来、「頼り」として「依りどころ」として、何に依って生きているかという意味です。
ですから「仏に帰依する」とは、はかり知れない、数え切れない無量のアミダの命の中で生かされていると受け取ることが大切だと述べています。
「法に帰依する」とは、そのアミダの命の中で生かされている、ありとあらゆる命は、お互い様の中で支え合って助け合って生きていると受け取ることが大切です。すべての命が、自分勝手に独りで生きていくことは出来ないのです。
「僧に帰依する」とは、その「お互い様」の中で生きて行く以上、すべての命に対して、敬意の心を持ち、思いやりの心を育て、互いに助け合って、支え合って、励ましあって、次の子供達に、孫達の時代に、平和な暮らしを、平和な時代を引き継いでいこうとする心が大切なんだと自覚することが大切です。
「帰依」も「帰命」も、「帰る」という字を使いますが、「本来の命に立ち返れば」と解釈してもよいでしょう。
また「帰る」という字は、辞書を引きますと、訓読みにもう一つの読み方があることが分かります。「とつぐ」とお読みいたします。
農業の品種改良に一つに「つぎ木」という手法があります。異なる品種をつなぎ合わせ、お互いの善いところを引き出して、改良していきます。
このとき、お互いの個性が強すぎると、どちらかが死んでしまい、結局は両方が共倒れとなってしまいます。つまり、「とつぐ」とは、「他の命とつぐ」、「つなぎあう」という意味で、一緒に生きて行く以上、相手の命をも生かしていこうと、受けとめることが大切となります。

次回は8月21日にお話が変わります。