浄土宗神奈川教区テレホン法話 第1098話

わが国への仏教の伝来は、6世紀のころと伝えられています。
その後、伝来した仏教を、国の教えとしていただくことに異論を称えた物部氏との間で戦争が起こりました。
多くの尊い命が、戦いの中で奪われてゆきました。
7世紀に入り、この戦争を振り返った聖徳太子は、「十七条憲法」を起こし、第一条には、社会の根本は「和」であると訴え、その第二条には、「仏教の教えを宝とする」と宣言しました。
宝とは、子宝と申しますように、我が命をかけても守る大切なものという心ですから、「仏教の教えを命をかけても守る大切な教え」と受けとめたわけです。
「篤く三宝を敬え。三宝とは仏・法・僧なり。すなわち四生の終わりの帰、万の国の極めの宗なり。」と。声高々に、宣言したのです。
では、仏法僧の三宝を敬う生き方とはどういうものでしょう。
これは、仏教の根本となる生き方、私たちの心構えを説いています。
アジアのどの国の仏教も、大乗であれ、小乗であれ、どの宗旨におかれても、一番最初の入門となる儀式を「帰敬式」と申し、仏法僧の三宝を敬うことを御仏の御前でお誓いいたします。
「仏を敬う」とは、私たちを含め、万物のあらゆる命は、その根本は、すべて、計り知れない無量寿・無量光の、まさに、アミダの命の中に生かされて生きています。私が、気付こうが、気付くまいが、常に、いかなるときも、仏の光明に照らされて生きているのです。己を中心に考えた「我」というものを捨てて、仏を敬い、同時に「仏の命をいただいた、あらゆる命もまた尊い」と思う心が大切です。
「法を敬う」とは、仏の命をいただいて生かされて生きる万物、あらゆる命に上下の隔たり、差別はないのです。その命のお互いが、奪い合ったり、殺しあったり、いがみ合ったりしてはならないと。お互い様の中で、他の命もまた大切にして生きてゆく、その心構えが大切です。
「僧を敬う」とは、一人では小さな私たちですが、お互いを敬い、支え合って、助け合って、励ましあって、常に思いやりの心をもって、皆と共に平和のうちに生きて、未来の子供たちの時代へとつないでいこう。そう決心することが大切なのです。

 

次回は2月1日にお話が変わります。