浄土宗神奈川教区テレホン法話 第1081話

極楽寺 稗貫光遠

けいこ、春秋を識らず

今回は、「けいこ、春秋を識らず」ということでお話をさせて頂きます。
けいこ (けいこ)というのは、蝉のことです。蝉は夏だけしか知りません。春や秋を知らないのです。いや、それどころか他の季節を知らない蝉は、今が夏だということもわかりません。今が夏だと分かるのは、他の季節を知って初めて分かることでもあります。
仏教では、私たち人間は、迷いの世界、六道の世界を輪廻していると教えています。ところが、当の私たちは、迷いの世界にいるという自覚がありません。「人間死んだら、それでおしまいだ」と思っている人がおおいのです。
これではあまり蝉と変わりませんね。迷いの世界にいながら、迷っていることに気付けない。愚かでありながら愚者の自覚がなかなか出来ない。そんな煩い悩みの人生を過ごしているのが、私たち人間の姿でもあります。しっかりお念仏を称えて、阿弥陀様のお慈悲の光明によって、心の闇を照らし出し、愚者の自覚を以ってこの人生を歩まねばなりません。
ところで今、あちらこちらで蝉が鳴いていますが、あの蝉は地上に出てくるまでは、土の中に六年もの間いるそうです。そして地上に出てからの蝉の一生は、約一週間、七日です。
ですから蝉は、この一週間の間、大変忙しい思いを致します。恋愛から結婚、何から何までしなくてはなりません。そして眠っている以外、鳴いて鳴いて死んで行くのです。
私たち人間とよく似ていると思いませんか。私たち人間は生れて来るまで六道の世界、迷いの世界を輪廻してきました。この六道の六と、蝉が土の中にいた六年。また、やっとの思いで、地上に出てからの七日間と、私たち人間の七、八十年の人生。
語呂合わせではありませんが、蝉が寝ている以外、鳴いていたように、私たちも南無阿弥陀仏と称え称えて、お念仏の中にこの人生をまっとうして往きたいもでございます。

次回は、8月11日にお話の内容が変わります。