浄土宗神奈川教区テレホン法話 第1066話

「おれがおれがの が をすてて おかげおかげの げ ですすめ」

私たちが今、こいして人として過ごせているのは数多くの協力があるからだということにに気づいていますか?
自分は一人で生きている。働いて生きている。こう考える人もいるかもしれませんが、これは傲慢の心でありまして、働くのも自分だけでは出来ませんが、体にあるもの、どれ一つとっても自分で作ったものではないのです。
私たちは生かされていると同時に、ひとり立ちして生きることも出来ていないのです。
みんながもちつ、もたれつつ支えあって生活しているのです。

おれが、私が、自分だけが、という姿をいさめているのが仏教です。仏教の言葉で「我慢」とありますが、自分の心の「我」をおさえ、自分だけが偉いというような姿をいさめることです。

法然上人は、常に愚鈍の身という言葉を使われていますが、それは愚かな自分が、多くの人たちのおかげで、日々を送らせていただいているという謙虚さの表れであります。私達も法然上人のそのお姿を偲び、感謝の姿で、じぶんのわがままさを押さえることを心掛けていきたいものですが、なかなか理想どおりの自分にはなれない現実です。

けれどもそんな人間でもよい、我が名を呼んで来いと、ずっと前から阿弥陀様は呼びかけてくださっているのです。私達はその阿弥陀様のお慈悲を信じてお念仏の生活をするのです。