浄土宗神奈川教区テレホン法話 第1002話

中郡組 浄源寺 森 丹山

今回は心の拠り所についてお話したいと思います。
 私達はこの世に生まれてきて、まず最初に母親を拠り所とします。オッパイを与えられ、また献身的な愛情を受け、何の不安もないまま育っていきます。病気になっても、母親の看病は絶対的な安心です。しかし、成長するに従って、親より友人の方が気持ちを共有出来たり理解し合えたりし、少しずつ親から脱皮していきます。そして、思春期になれば、人生への漠然とした不安が募り、人生とはどういう意味があるのだろうと深い問いかけが始まります。道に迷う人もいれば、一生懸命勉強し、より安定した生活を得ようと努力する人もいます。
 しかし、私達は、不安の真只中にいます。不況の中、会社は終の棲家ではなくなった。人と人の絆も薄くなり、非常に孤独な時代です。
 ところが、考えてみますと、法然上人が活躍された時代は、今とは比べものにならないほどの飢餓や戦乱で、今日一日を生きるのが大変だった訳です。その苦境の時代に法然上人の教えは、一筋の光でした。どんな境遇にある人でも平等にすべてを救ってくださるという阿弥陀様の本願を、法然上人はやさしくお示しくださったのです。誉れ高き人格から発信された教えは、苦しむ人々の拠り所となっていったのです。それは、只お念佛を申すことでした。
時代は違いますが、不安が影のように押し寄せてくる今の世の中、
やはり、お念佛のように揺らぎのない拠り所が必要です。そのためには、まずは、実践してみることです。只声に出し、ナムアミダブツと名号をお唱えすれば、必ずや心が落ち着き、揺れ動く自分を見つめなおすことができるでしょう。みなさまもどうぞ、共に学び、共に実践してまいりましょう。そして、一つの大きなつながりになることを願っています。
 次回は6月1日にお話がかわります。